見ること。見えること。
今日は視覚障害者の方と一緒に楽しむ写真教室のワークショップに参加してきました。
私も目隠しをして介助者の方の言葉を聞いて写真を撮りました。
あの時は目隠しもして撮っているから、何もかも新鮮だって思っていましたが、帰ってきて自分の写真を見てるといつもあまり変らないんじゃないかと思った。
シャッターを押すタイミングと撮りたいという気持ちになる時が。
撮った写真から3枚選ばなければならなかった時、写真からその時の記憶を思い出して一番楽しかったなと思うものを選んだ。感情任せの私には選んだ理由を伝える為の明確な言葉がない。視覚障害者の方も含めこの写真を撮った時の楽しいという感情を伝えるために言葉にしようと思えば思うほど何も思い浮かばない。
自分がいかに視覚を頼りにしつつ、感情や感覚まかせでいるかを痛感させられた。
一方、視覚障害者の方が選ぶ写真にはきちんと言葉で伝えられて伝わる写真が多かった。中には立体的にプリントされる時の写真の事を考え、残しておきたい感触を写真に撮っている人もいた。
このことから、そこにある事象やその物をきちんと見て、情報として確実に納めているのは視覚障害者の方の写真だった。写真を表現として考えている人には自分の感情が写り込まれていて、その感情を大事にしていることの方が多い。感情という部分ももちろん大事にしていきたいところではあるが、私的感情を人に伝え、それが相手に伝わるということはとても難しいことなんだと実感させられた。
写真は見れば分かるもの。
そう言ってしまえばそれまでだけど、きっと写真が見れない人にでも言葉で伝えてイメージから素敵だなって思われるような写真が本当に心に残る写真なのかもしれないとふと思った。
障害があろうとなかろうと関係なく、分け隔てなく心に残るような素敵な写真を撮ってみたいものです。