ぱちぱちソーダ水。

適度に適当に写真と言葉。

ダレカノタメ?

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そういえば、看護学校も3年間通ったんだ。そんでもって1年の終わりの実習の後から辞めたいと言い出し、テストも勉強せずに受けて先生3人対私の面接をした。

 

その時の辞めたいって理由が「相手の気持ちが分かっても、自分は何も出来ない」確かそんな理由だった気がする。

1年ちょっとかじったぐらいの勉強と実習で挫折しようとしていた私を全力で止めたのは担任の先生だった。当時は親が学費を出していたため、勝手な自己判断で辞める事も出来なければ、さぼる事もできないからとりあえず出席をし、グループメンバーに迷惑をかけない程度に実習をこなし、再テストにならない程度の点数を維持し、あとは当時好きだったファッション関係や音楽にお金を費やす為にバイトに明け暮れていた。しかし、3年生になってからはというと半年間かけて様々なところで実習をしたことで、気持ちが変わったのかもしれない。

 

余命を宣告されたある患者さんが呟くように「歩いて家に帰りたい」と言った。

人見知りの私はというと、その患者さんとの関係は最悪と言っていいほどコミュニケーションがとれなかった。本当に最低限の言葉を交わすだけで終る日々。看護学校の先生にも指導者の看護師さんにも注意を受けていた。そんな関係でその患者さんの本当の言葉を聞けたのはラッキーと自慢して帰りたくなるぐらいだった。しかし、寝たきりの人がリハビリしたからってすぐに歩けるわけではなく、ましてや腹水でパンパンに張ったお腹で動くなんて苦痛でしかない。それでも私はめげずにベッドでできるリハビリを考え毎日の習慣にし、部屋に貼れるようにポスターも作った。もう無理だよと半ば諦める患者さんでも、学生に免じてしぶしぶそのリハビリにつき合ってくれた。きちんとしたリハビリも導入され、めでたく車椅子まで乗れるようになったところで感動的な実習は終った。

 

 その実習が終えた後でしばらく月日が経ってから指導者の看護師さんから看護学校の先生を通じて「あの患者さんは家に帰る為じゃなくて、歩いてあなたに会いに行けるようにいまでも頑張ってるんだってよ。」って言われた時、子どもだった私は初めて誰かに必要とされることがこんなにも嬉しいことなんだと感動して泣いた。私もこの人の為に看護師に絶対になると決意をし、看護師になってもう5年目を迎えてしまった。

 

“誰かの為に何かをしたい”

その気持ちが根底にあるのかもしれない。

しかし、それは偽善的でもあるし、余計なお世話かもしれないと思う。

 

秋休み中にずっと自分が撮り続けた毎日写真を見続けていた。

私は私の写真の意味が分からない。正直言って、なんで写真をやっているのかも堂々と口に出して言えなくなってきた。

 

少なからず、作品にするということは見せることだとは分かっている。

 

自分の中をさらけ出して何かを表現したいのか。

それとも誰かに何かを伝える為に表現したいのか。

 

何も無いけど、ただ表現したいと薄っぺらくならないように時々こうやって過去と今を照らし合わせつつ、人から頂いた言葉も加えて考えてます。

 

 

 


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